私は死を意識の機能が停止した時と定義している。
私は死を意識の機能が停止した時と定義している。
肉体的な死は、心臓を機械に置き換えられる現代において、不明瞭だ。
すべての人から忘れ去られたときに、本当に死ぬという、情緒的で非科学的な定義は問題外だ。
未来において、義体化技術が進んで、脳以外すべて機械に置き換わったときに、肉体的な死の定義はより曖昧になるだろう。
逆に、意識が量子コンピュータによってエミュレート可能であるなら、意識の機能停止ではないので死ではない。
銃夢、攻殻機動隊、第七女子会彷徨、シュタインズゲート、ソードアートオンラインなどの創作物からでも、これだけの考えが生まれる。
すべてのコンテンツは役に立つ。
笹本祐一によると、すべての学問は役に立つ。
戦争をやるときに、地理学や歴史学は重要だそうだ。
言語学は言うに及ばずだな。
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